一桥教员の本
ことばは国家を超える : 日本語、ウラル?アルタイ語、ツラン主義
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田中克彦着 |
着者コメント
ウラル?アルタイ説とその研究は、ヨーロッパ诸语の中で、他のいわゆるインド?ヨーロッパ语とは异质の言语を话すハンガリー(マジャール)人とフィンランド(スオミ)人のもとではじまった。まず1799年にハンガリーのジャルマティが、ヨーロッパ诸语の中で孤立したハンガリー语がフィンランド语と同系であるとの论文を発表し、これら二つの言语を併せて、ウラル语もしくはフィン?ウゴール语群と呼んだ。次いで19世纪半ばにフィンランド人たちは东に向かって同系の言语を求める旅に出た。そして、トルコ、モンゴル、ツングース语などをまとめてアルタイ语群と名づけ、さらにこの両者をまとめてウラル?アルタイ语と呼ばれる言语系统説が确立された。
日本でこの語がひろく知られるようになったのは20世紀に入ってからであるが、ウラル?アルタイ説は、最近では成立しないとの言説がひろめられ、インターネット上に見られる通俗辞書がそれを否定する情報を提供している。しかしそれらは、学問的な根拠にもとづくというよりは、19世紀はじめにひろまり、学界で有力になった印欧語比較言語学の成果をそのまま適用しようとしたために生じたせいであると着者は説く。
そのような説に対して、日本の知识人たちがウラル?アルタイ説に敏感に反応したのは、これらの言语と日本语が共有する类型的特徴に注目したからであるとして、长い间无视され、あるいは葬られたかに见える藤冈胜二(1872-1935)の1908年の所论の復権を説いたものである。藤冈はたぶん1838年にベルリンで発表された奥颈别诲别尘补苍の论文に导かれたものであろう。藤冈説の説明にあたってウラル?アルタイ説成立の过程がやや详しく説かれ、研究史的入门の书を兼ねている。
本书の意図するところは、见知らぬ言语の、なじみのない単语を寄せ集めて比较し、それによって読者を説得しようとする従来の言语比较の方法とは异なり、思考を创生?限定し、それを表现する要具としての言语の类型的特徴を比较するという、より言语の本质にかかわる类型的比较を重んずる点で、人文?社会科学の根本にふれることにより、学术全体の広汎な分野に関心を抱く読者を求めている。